「ユーモアがある=面白い」ではない!『ユーモアは最強の武器である―スタンフォード大学ビジネススクール人気講義』

「ユーモアがある=面白い」ではない!『ユーモアは最強の武器である―スタンフォード大学ビジネススクール人気講義』 書評・読書感想・本の話
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このまえ読んだ本に書いてあった「書評にはユーモアが大切」という指摘に納得させられたので、その参考になるような本を探していたところ、ちょうど良さげな本が直近で刊行されていたので購入してみた。

ただ正直なところ、この本を読んだことを公言するかは迷った。というのは「面白いと思われたくて必死な人間」に思われたりしないだろうかと心配になったからだ。ただ前置きしておきたいが、この本はユーモアを習得するための本というよりは、ユーモアの大切さを理解し、それを日常のなかで発揮していくことを推奨する本だ。あくまでも「教養としてのユーモア」の本であることを理解してもらった上で当記事を読んでいただければ幸いである。

大切なのは「真面目さと陽気さのバランス」

この本の内容を大別すると、まず前半部分はユーモアがもたらす効果について科学的見地も含めて具体的に語られている。本書のなかで語られるユーモアの効用はさまざまなものがあるが、それは「真面目さと陽気さのバランスが取れると相乗効果が生まれる」という言葉に集約される。一般的には組織において重要視されるのは真面目でひたむきな態度だろう。もちろんそれも大切ではあるが、そこにユーモアがバランスよく組み込まれると心理と行動に良い影響を与えていく。それが本書の核となる主張だ。

実際、私たちが気難しく考えるのをやめると、ユーモアの妨げとなるストレスが緩和され、同僚たちと有意義な関係を築けるようになったり、革新的な解決策に取り組む意欲が湧いてきたりする。

その事実を納得させるために、本書はまず世の中に浸透している「思い込み」の排除に取り掛かっていく。注目すべきはユーモアにおいて重要なのは実際に面白い人間であるかどうかよりも、そのジョークがその状況において適切であったかであったり、自分がユーモアを解する人間であるというアピールであったりすることだ。そしてその方法も才能によるものではなく、習得できる技術であると続けられている。つまり例えあなたがクソつまらない人間だったとしてもそれは大した問題ではなく、大切なのはユーモアを理解する心構えにあると言えるだろう。

個人的にはユーモアの最大の効用は「心理的安全を育む」ことにあると感じる。つまり「失敗を気にしなくてもいいという安心感」を生み出すのである。組織におけるリーダーに陽気さがあると、その下の人間は思い切って物事に挑戦する意欲が湧いてくる。得てして息苦しい組織というのは真面目さを強要され、失敗は何一つ許されないような緊張感が伴っているものだ。個人的にはこの本のなかで描かれているような真面目さと陽気さを両立する魅力的な組織がもっと増えてほしいと思う。

そして第3章からは、この本を手に取った人なら気になっているであろう「プロのコメディアンのテクニック」が紹介されていく。「面白い」という感情が生み出される原理や原則について触れられており、そしてユーモアを発揮するための実践的な方法についても語られている。本書においてもっとも読み応えのある箇所だと言えるだろうが、それと同時に鵜呑みにすると危険な箇所でもあるように思う。

というのはここで紹介されている内容はあくまでもアメリカンジョークが題材となっており、日本に住む我々とは感性が異なる点があるのは否定できないからだ。本章ではユーモアの実例がいくつか掲載されているが、個人的にはそのほとんどはいまいちピンと来ないものばかりだし、実際にそこに書かれているようなジョークを日本で再現してもおそらくスベる。もちろん面白さが生まれる理屈は普遍的なものなので参考にするべきだが、ここで書かれているノリをそのまま流用するようなことは避けたほうが無難だろう。

もしジョークで地雷を踏んだらどうするか?

その後もユーモアを仕事に活かすための具体的な方法などが次々に語られていく。ユーモアを活用することで他人から信用され、また自身の心理状態を上手にコントロールすることができるようになるのである。ここまでを読んでいるとユーモアは無敵のツールであるかのようにも思えてくるが、当然ながらそんな都合のいいものはこの世には存在しない。ユーモアにだって弱点はある。

単に題材を祭り上げるのではなく、そういったデメリットについてもしっかりとフォローしているのは本書の素晴らしいところと言えるだろう。第7章では「万人受けのユーモアなどほとんどない」という事実を述べた上で、ユーモアにおける失敗がなぜ起きるのか、そして失敗したらどうするべきなのか、という部分にも触れられている。この章ではコメディーを「事実」「痛み」「距離」の三要素に分けて分析していき、そしてこのバランスが崩れると他人に不快感を与えてしまうと指摘している。

「事実」はコメディにおける核心である。あるあるネタが面白いのは、それが紛れもなく日頃から我々が見たり感じたりしている事実であるからだ。その一方で、その事実の選び方を間違えると相手に無神経だと思われたり、その人を傷つけたりしてしまいかねない。「痛み」は自虐ネタを想像するとわかりやすいだろうか。多くの場合、失敗談は笑いのネタになりやすいものだ。しかし同じような経験をした人には不快なことを思い出させるきっかけにもなってしまうかもしれない(「共感性羞恥」などはその典型的な例だろう)。最後の「距離」は文字どおりに送り手と受け手の距離感のことだ。たいして仲が良くない人に突っ込んだジョークを飛ばされたらかえって引くだろうし、その逆のパターンも存在することだろう。また距離には前述の心理的なもの以外に、時間的なものもあれば地理的なものなどもある。

このなかでもっとも共感できるのは「距離」における失敗例だろう。多くの人は相手との距離感を間違えたジョークで少し気まずい思いをした経験があるだろうし、それとは逆に相手との心理的な距離感が測れないがために気軽にジョークも飛ばせないことがあるかもしれない。本章でもやはり「距離」に関する失敗を克服する方法が内容の多くを占めるが、そのなかで「出世するほど、自分のジョークの効果が測りにくくなる」という章題はそれ自体が皮肉の効いたジョークのようで面白い。つまり地位のある人間ほどジョークが面白いかどうかよりも、気を使って愛想笑いする人が増えるということなのだが、政治家がとんでもない失言をするのもこういった理屈が隠れていそうで納得してしまう。

ユーモアの失敗をした際にそれをリカバリーする具体的な方法が本書ではいくつか紹介されているが、それらをひとことで言えば「誠実」な態度で真正面から「責任を取る」ということだ。それができずに大炎上する大人を毎日のように見かけることから、ほとんどの人にはそれが真理だと簡単に理解できることだろう。

おわりに

本書を読んだだけでユーモアが身につくかと言えばそれは無理だろう。しかし本書ではユーモアの原理・原則をはじめ、それを正しく使うための方法、そして仮にそれが失敗したときの態度などについても網羅されている。個人的には小手先のテクニックに終始しているような本よりも、こちらのほうが本質的でよほど人生に役に立っていくように感じる。特に「人間的な面白さよりも、そのジョークが適切かどうかが大切」という内容には勇気づけられる人も多いだろう。

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