狂気の最終回
場面カットはアニメイトタイムズの記事をご参照ください
女神からの贈り物
神アイドルグランプリを終え、いつもどおりの日常へと戻ったらぁら。しかし内心ではやはりジュルルのことが気にかかっている様子だ。「また会えるよ」というジュリィの言葉に嘘は無いと思いつつも、もう少し親子水入らずの時間を過ごしたかったというのが正直なところなのだろう。
いてもたってもいられないらぁらはプリパラへと訪れていた。そのとき、ロゼットパクトがひとりでに動き出し、らぁらもそれに引っ張られてしまう。パクトが向かう先にいたのはファルルだった。らぁらとファルルはそのまま衝突してしまい、さらにその勢いでファルルがパクトの中に入ってしまうのだった。この事態にユニコンは泣くわ怒るわの大騒ぎだったが、ファルル本人は赤ちゃん生活を普通に楽しんでいて微笑ましい。
ファルルはパクトの中で「ファルルへ」と書かれた包みがあるのを見つける。それはパプリカ学園の制服だった。ジュルルがそうしていたように、パクトに入った状態であればプリパラ内の存在でも外に出ることができる。つまりファルルがパクトへ入ってしまったのは偶然ではなく、ファルルにプリパラの外の世界を見せてあげたいというジュリィの優しさだった。
外の世界を見たいというのは当初からファルルが抱いていた夢であるが、それが最終回で実現するというのが非常に素敵だし、制作陣の愛情を感じる。
最終回らしからぬカオス
プリパラの外へ出ることに成功したファルルはそのまま学校へと向かうことにした。らぁらとファルルの仲良しコンビは夢が叶ったことでウキウキしているが、この外出は他方でちょっとした騒ぎにもなっていた。
まずひびきはファルルの夢を全力で応援するべく、あじみ先生を自ら呼び出すという歴史的な行動を取っていた。今日だけは語尾を使わず、ファルルにまともな授業を受けさせてほしいと依頼するためである。あじみ先生から語尾を奪うことは死も同然なわけだが、互いの関係性を「『友達の知人の知人の知人が飼っているハムスター』にしてやってもいい」という条件付きでまんまと引き受けさせることに成功した。ツッコミどころが多すぎる。
またファルルが授業を受ける様子は全プリパラで生中継されるなど、大イベントへと発展していた。「プリパラのお姫様」とも言えるファルルの外出はそれだけで一大事であり、歴史的な出来事なのだろう。ファルルが出席を取れただけで盛大に花火が打ち上げられるなど大騒ぎだ。
最終回なのに展開が全力で馬鹿らしいことに安心感を越えてもはや感動さえ覚えてしまう。『プリパラ』らしさが迸っている。
ファルルの法則
ファルルが来たことは学園内でも瞬く間に知れ渡り、当初はひびきとふわりだけだった授業参観も、次にみれぃとそふぃが、その次にドレシも加わっていき、最終的には全員集合状態となっていった。ファルルがみんなにどれだけ愛されているかが見て取れる。
持ち前の純粋さで明るく楽しく授業を受けてきたファルルだったが、あじみ先生の「語尾の限界」が近づいてきたことで逼迫した状況となっていく。あじみ先生は謎の拘束具のようなもので自らの語尾を体内に押し留めてきたのだが、それももはや限界のようだ。
授業終了時刻とあじみ先生の限界が同時に近づく中、ファルルは「先生!ファルル、新しい法則を発見しましたー!」と黒板の前に立つ。それは図にするとこのような公式だった。
♡x10x10x10x10x10x10x10x10x10x10……… = ♡ x ∞
トモダチがひとり増えれば、そのトモダチのトモダチともトモダチになることができる。その連鎖は無限に続いていく。そしてトモダチは笑顔や勇気や元気を与えてくれる。つまりトモダチの連鎖が生まれれば、笑顔や勇気や元気も無限大に存在することになる。これがファルルの公式である。
ファルルはあどけなく説明してはいるが、これはかつて孤独だったファルルがらぁらと出会い、それをきっかけに多くのトモダチに囲まれるようになったという実体験から生まれたものであり、非常に情感溢れた公式となっているのである。
またこの公式はプリパラの「み~んなトモダチ!」という概念をわかりやすく言語化したものにもなっている。プリパラの化身とも言えるファルルだからこそ、この概念を深く理解することができたのだろう。ジュリィがファルルをプリパラから出してあげたのは、ひょっとするとこの考え方を少しでもいいから外の世界の子に教えたかったというのもあるかもしれない。
外の世界を夢見ていたプリパラのお姫様・ファルルがそれを叶え、そこで「プリパラ」に存在する「トモダチ」という概念の素晴らしさを語る。日常回のような雰囲気ではあるが、こうして見ると最終回として非常に味のある内容ではないだろうか。
ジュリィが選んだ道
しかしそんな素敵な時間もついに終焉が訪れる。限界を突破したあじみ先生の体内から溜めていた語尾が逆流し、瞬く間に学校内は語尾地獄と化してしまった。こんなものを最終回で流す気が知れない。
語尾に押し出されて外へと押し出されてしまったらぁらとファルル。語尾が空から降り注ぐ中、らぁらとファルルの目にはプリチケ配達人となったジュリィの姿があった。ジュリィとしては女神としてアイドルを見守るよりも、こうして直接女の子に夢を与えることに喜びを感じるのだろう。何もこんなときに姿を現さなくても……と思わないでもないが、ジュリィの元気な姿が見られたことでらぁらも心から安心できたようだ。
タイムリミットも訪れ、ファルルはプリパラへと帰っていってしまった。ジュリィも姿を見られたには違いないが、これまでと違って気軽に会えるような状態では無さそうだ。しかしらぁらはファルルから「♡ x ∞」という大切な考え方を教わった。これからもらぁらは明るく元気に歌い続けるだろう。心に「ファルルの法則」があるかぎり。
「感想記」のおわりに
『プリパラ』は自分がプリティシリーズにのめり込むきっかけとなった作品です。『プリパラ』ほどの衝撃と感動を与えてくれるアニメはこれまでになく、そして今後出会うこともないだろうとも思っています。昔の自分は一般的なアニメを好む傾向があり、当時の自分からすれば「女児向けアニメを見る」というのは選択肢にすら浮かびませんでした。それが今やシリーズ全作品を視聴し、サントラを買い漁り、ライブにも参加するようになってしまいました。それが客観的に良いか悪いかはわかりませんが、個人的には『プリパラ』という人生を捧げられるほどの作品と出会えたことは本当に幸せだと思っています。
『プリパラ』の魅力をひとことで語るのは難しいです。個性豊かなキャラクター、高い完成度の楽曲、質の高いCGライブ、当然のように盛り込まれるカオスなど、挙げればきりがありません。ただ敢えてひとつだけ言うのなら、個人的には色々な視点で見ることを許す懐の広さにあると思っています。一般的な女児向けアニメとして視聴してもいいし、カオスアニメとして見ても面白い。一方で少し掘り下げて分析しつつ視聴することで様々な気付きが得られる側面もこのアニメにはあります。それはあらゆる要素において妥協を許さず作り込まれていることの証左に他なりません。ライト層でもコア層でも同じぐらい楽しむことができる。2022年に至るまで『プリパラ』が愛され続けているのは、そういった包容力があるからではないでしょうか。
再放送ではありますが、それをきっかけにいつかはやりたいと思っていた「『プリパラ』の感想記事を書く」という夢をとりあえず実現することができて嬉しく思います。伝えたかった感情をすべて文章化できた自信は無いですが、この一連の感想記事が『プリパラ』を楽しむ上での一助に少しでもなれたら幸いです。
次回、『アイドルタイムプリパラ』第1話「ゆめかわアイドル始めちゃいました!?」
『プリパラ』はまだまだ終わらない! 来週からは「プリパラの狂気を凝縮した」と評判の『アイドルタイムプリパラ』が始まる。それは同時に最狂の主人公・夢川ゆいの登場をも意味する。
感想記事については放送当時に書いたものがすでにあるものの、内容の拙さが目立つのが正直なところ。再放送を視聴しつつ、加筆修正をしていくことになるかと思います。
夢川ゆいは楽しいことやゆめ可愛いものを想像したり夢見ることが大好きな、パパラ宿に住む小学6年生。女の子の憧れであるアイドルテーマパーク「プリパラ」へ行くことを夢見ていたが、パパラ宿にはプリパラがなく、周りの友だちも女の子アイドルには興味がない様子。そんなある日、ゆいはパラ宿のプリパラで大人気のアイドル・真中らぁらと出会う。
テレビ東京・あにてれ プリパラ
コメント
感想の完走おめでとうございます。
3年間毎週楽しく読ませていただきました。
zooさんの感想を通すことで、リアルタイム当時では気付けなかった部分に触れられてありがたい限りです。
今後のプリマジの感想及びアイドルタイムの加筆修正も楽しみにしております。