小説の醍醐味とはなんだろうか。きっと多くの人にとってそれは予想を裏切るような大どんでん返しであったり、華麗な伏線回収だったり、巧みな叙述トリックだったりするかもしれない。確かにそれは小説の華に違いない。ただそういった要素がなくても、素晴らしい作品は存在する。『しずかな日々』はそのことを体現した小説だと言える。
本書は主人公・枝田光輝が母親を離れ、おじいさんの家で過ごした夏の日々を、大人になってから回顧する構成となっている。描かれているのは幼少期に誰もが経験したあの夏の日々。その一方で母親についての描写が作品に薄暗い影を落としており、その明暗が作品に奥行きを出していると言えそうだ。
「しずか」を貫いた小説
主人公・枝田光輝は小学五年生まで友だちもできず、目立たない少年だった。五年生に進級すると、後ろの席の明るい少年・押野に声をかけられ、「えだいち」というあだ名もつけられるなど、閉じていた世界が一気に広がっていく。しかしその矢先、母親の仕事の都合で引っ越しを余儀なくされてしまう。転校を拒否した光輝は、近所に住んでいる「おじいさん」の家に預けられ、これまで通りの学校生活を送れることになるのだった。
実は自分もこの小説を読み進めるなかで、意外な展開が訪れるに違いないと予想していた読者だ。押野は光輝をからかっているだけなのではないか、おじいさんとの関係はうまくいくのか、もしかすると『しずかな日々』というタイトルが壮大なフリなのではないか──そのような不安と期待を抱いていた。
しかし本書で描かれるのは、光輝が過ごしたどこまでも眩しい夏の日常だ。押野は単なる明るい性格のいい奴で、光輝と正反対だからこそ互いをリスペクトしており、次第に親友と言える関係になっていく。押野を通じて出会った「じゃらし」や「ヤマ」といった友人も欠かせない存在だ。
またおじいさんは寡黙な人で、当初は少し近寄りがたい存在として描かれている。しかし同じ屋根の下で過ごすなかで光輝はおじいさんの優しさに触れていき、少ない言葉のなかに深い愛情があることを読者も理解していく。
『しずかな日々』は光輝にとって仮の宿だったおじいさんの家が、「唯一無二の帰る場所」になっていく過程を描いた物語である。その優しい物語の前では、予想を裏切るような展開はむしろノイズになってしまうだろう。「人生は劇的ではない」という一文に集約されているように、この小説は平坦を貫いたことに価値があると言える。
母親が持つ影
その一方で、この作品における母親の存在が少し不穏な影を落としているのも特筆すべき点だ。光輝は母子家庭で育っており、「世界はぼくと母さんだけだと思っていた」という言葉からも、その存在の大きさを理解できる。しかしそんなかけがえのない存在であるはずの母親の登場シーンは、常に灰色がかった雰囲気がつきまとっている。
あるとき母親は製麺所の事務の仕事を辞め、「仕事関係の人」だという「みどりさん」と新たな仕事を始めるといいだす。おじいさんと暮らしはじめたあとも、母親はたびたび光輝の前に現れる。しかしそんなとき、光輝の心は不思議なほど冷たく静かであり、ときに不安や痛みも抱えていく。それはおじいさんや押野といるときの心情とは真逆のものである。
母親がどのような仕事を始めたのかは、結局最後まで明言されることはない。ただ占いやスピリチュアルに傾倒している描写があり、最終的には多くの信者を抱えるような存在になったことが示唆されている。
このように作中でもかなり特殊な存在の母親だが、彼女の存在がこの作品の影となり、光輝がおじいさんの家で送る日常の眩しさを強調しているのは間違いない。母親が遠い存在になっていく戸惑いや不安を、おじいさんの優しさが包みこみ、押野の明るさがかき消していく。この小説を平坦だと先ほどは表現したが、このような対比構図が作品の深みに繋がっているのは見逃してはいけないだろう。
人生は劇的ではないし、小説も劇的じゃなくていい。『しずかな日々』はそれを納得させる不思議な力を持っている一冊だ。





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