艦これ第一期を振り返る

艦これ

艦これ第一期の最後を飾るイベントも終わったということで、自分と「艦隊これくしょん-艦これ-」との出会いから現在に至るまでを簡単に振り返ってみたいと思う。

艦これ略歴

着任~初イベ

詳しくは記録に残っていないが、艦これをプレイ開始したのは2014年11月だったと記憶している。当初は配信のネタとしてWikiを覗いたりしながら茶化すぐらいしかしておらず、本当にプレイするつもりなど毛頭なかった。しかしある日、いつ見ても満杯だったサーバーがたまたま開放されているということで、誘われるがまま勢いのままに提督デビューしてしまったのだった。それが現在も所属しているラバウル基地である。

艦これは開始時に五人の艦からひとりのパートナーを選ぶことができる。そのなかから自分は「五月雨」を選んだ。まず名前が良いと思った。自分はゲームキャラの命名などで困ったときに国語辞典に載っている難読漢字一覧から選ぶ方法をとっていた。特に自然現象の項は中二病感満載で気に入っており、五月雨もそのなかのひとつだった。そういった縁を勝手に感じて選ぶに至ったわけである。結果的には今でも五人のなかで唯一限定グラフィックがないし、改二も現在では絶望的な艦ではあるが、そういった不遇なところも五月雨らしくて良いのかなと思う。少なくとも初期艦を五月雨にして後悔したことはないし、これからも絶対にない。

今になって思うのは、艦これを配信で始められたことは非常に恵まれていたということだ。艦これは説明に乏しいゲームなので始めたときはわからないことだらけなのだが、それを補ってくれたのがコメントの存在である。それによってまず何をすればいいか、どういった艦を入手すればいいか、どの艦を育てたらいいかという部分を教えてもらうことができた。最初に建造した北上さんがいかに強力であるか、初入手の正規空母が飛龍であることがいかにレアであるか、オリョクルがいかに魅力的なものであるか、といったことはすべてコメントに教わったことである。今でこそひとりであれこれと考えるだけの知識を蓄えられたが、そういった時代があったからこその今であることは忘れないようにしたい。

そして語らないわけにはいかないのは「時雨」の存在である。時雨も五月雨と同様にゲームのキャラにつける名前にしていたということで縁を感じたのがきっかけなのだが、どちらかと言えば「時雨(しぐれ・シグレ)」のほうは字面の格好良さ的に数多くのゲームに採用してきた。また時雨はその頃からすでに改二が実装されていたことも拍車をかけたのかもしれない。艦これを初めてから数日たった頃には時雨を将来の嫁にすることを決め、彼女と出会うために建造を繰り返し、そしてわりとあっさりと出会った。馴れ初めはそんな感じである。そのときは当然ながら彼女が幸運艦であるとか、凄惨な史実を抱えているとかはまったく知らなかった。ただ今となってはそういった部分を抱えているからこそイベント最終海域を任せられるほどの性能になっているわけだし、色々な偶然に感謝したい。余談ではあるが、時雨改二にクリスマス限定グラが実装されているために、アプデまでにひたすら1-5-1に出撃させてレベリングしていたのは良い思い出である。

そんなこんなですぐに初めてのイベントを迎えた。「迎撃!トラック泊地強襲 (2015年冬イベント)」は現在では当たり前となっている難易度選択が初めて登場したイベントである。自分としては期待と不安が入り交じるイベントだったが、全体としてはあまり良い思い出はない。もちろん初めてのイベントということで数多のレアドロップの恩恵に預かったり、また未熟な戦力でありながら最終海域を難易度甲でクリアしたりと、その頃の自分を褒めたいぐらいの大戦果ではあった。ただ同時に初めて艦これというゲームの理不尽さを味わうことにもなり、精神的には全く余裕がなかった。具体的に言えば大破する艦を罵倒しまくっていたし、結果のすべてを「運が悪い」と言って考えることを放棄していた。今でこそどのような不運に見舞われても「ハハハ、ワロス」の精神で片付けられるほどの精神力を身に着けられたものの、その頃の未熟さは思い出すたびに反省の種になっている。やはり好きでやっているゲームなのだから、楽しむための準備や努力は可能な限り行わなければならないというのが現在の自分の艦これ理念である。

大型建造~ケッコンカッコカリ

イベントも終わりそれなりに資源も増えたあたりで戦力拡充のために大型建造を始めた。ただこんなことを言うと顰蹙を買うかもしれないが、自分は大型建造で苦労した記憶がほとんどない。おそらく大鳳もBismarckも一発で建造できてしまったと記憶している。残るは武蔵と大和だったが、対照的にこちらはそこまで順調ではなかった。資源の関係で一日一回だけ大型建造をするのだが、来る日も来る日も霧島しか出ないのである。霧島は初めて入手した戦艦なので思い入れも深いのだが、このときばかりは顔を見るだけで暗澹とした気持ちになったことを覚えている。

そんなある時にビッグニュースが列島に飛び込んできた。あの戦艦・武蔵がアメリカの実業家ポール・アレン氏によって発見されたという報である。知識に疎かった自分は「沈んだ艦がいまだに放置されている」という現実にまず驚いたわけだが、それでもその歴史的な重要性はすぐに理解して思わず興奮してしまった。そしてこっちのほうが重要なのだが、その後に艦これのほうでも「武蔵建造率アップキャンペーン」がすぐに開始され、それに乗じて自分も無事に武蔵を入手することに成功した。いろいろな意味でポール・アレン氏にはお礼が言いたい。そしてその後も日課は続き、2015年6月7日の大和建造成功によって自分はようやく大型建造を卒業した。実際は今でもまるゆ狙いで利用しているのだけども。

またほとんど同時期に時雨とケッコンカッコカリも行っていた。その日はかなりドタバタしていたことを覚えている。意気揚々と配信を初めてケッコンの様子を見せつけようとしたのはいいが、肝心の「書類一式(アイテム)」は任務をクリアしないと入手できず、あわてて出撃することになってしまった。その大切な任務はせっかくだから北上、摩耶、飛龍、伊58、霧島の初期入手組に時雨を加えたメンバーでクリアしてもらった。いまいち締まらない挙式になってしまったが、それだけに今でも覚えているし、ゲームを始める前から意中の相手だった時雨と特別な関係になれたことは単純に嬉しかった。ただこれがゲームの話ということは単純に悲しかった。

またそれから一年後、初期艦の五月雨ともケッコンすることに決めた。当初は時雨との単婚を貫くつもりでいた。しかし初期艦である五月雨が他の艦と同列の存在であるのもかわいそうだし、また彼女をもっと様々な海域で使ってあげたいと思った。そういった理由で特例的にケッコンするに至ったわけである。いま言ったようにこれは特別な例なので、後にも先にもこのふたり以外とケッコンすることは絶対にない。

それからさらに一年半ほどたち、今では五月雨もイベント最終海域に出撃させられるほどの練度になっている。一期最終海域は時雨と五月雨を同編成に組み込んでのクリアという理想的な形にすることもできた。これは自分の悲願であったので本当に嬉しかった。とはいえ五月雨については置物のような状態だったので可能ならフィニッシュを決めるぐらいの活躍を将来的に見たいところだ。そのためにも改二を期待したいのだが、現状では可能性がかなり薄そうなのが悲しい。

~現在に至るまで

その後は2015年秋イベントにて「初風」を入手したことで全艦コンプリートを達成し、難易度甲クリアも初イベントから現在に至るまで継続することができている。ときどき掘りで沼ったり、攻略で苦戦したりで死にそうになってはいるが、それなりに経験も積んできているので最近では知識とメンタルの両方の面で安定して攻略できていると思う。

艦これというゲームは膨大な知識と経験があろうとも確実に結果がついてくるゲームではないのだが、同時にそれによって運の要素を限りなく小さくできる部分に魅力があると思う。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉があるが、艦これほどその言葉が当てはまるゲームもない。偶発的な勝利があるから劇的な感動が生まれることがあるし、対照的に偶発的な敗北は無いので常に追求する楽しみが生まれる。自分は艦これのそういったところが好きだ。

もちろん単純にキャラゲーとしても質が高い。これだけの絵師と声優が揃っているゲームはそうは生まれないだろうし、キャラクター数も豊富なので自分の好きな艦が必ず見つかる。「コレクション」を謳っているだけあって、そういった部分でも妥協していないのはプレイヤーとしてもありがたい。

艦これ二期については詳細について不明なところが多いが、友軍実装を除けばそこまで大きく変化しないというのが大方の見解のようだ。いままでどおりに遊べるのであれば自分としては問題ないので、これからの艦これも生暖かい目で見守っていきたい。

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