『ドキドキ文芸部!(Doki Doki Literature Club!)』プレイ感想

※当記事は容赦なくネタバレしているのでご注意ください。

遊び尽くしました。その上で例によって感想を述べていきたい。

まず「そういうゲーム」であることはプレイ前から予想できるわけだが、それを差し引いても演出やテキストの面白さで特異性を存分に表現していたと思う。音楽や演出はこの世界に氾濫する狂気を最大限に引き出していた。とにかく怖かったが、怖いだけで終わらずそれが自分の内面のどこかで中毒性を引き起こすような点もあったような気はする。

モニカのモニカによるモニカのためのゲーム

自分がこのゲームで最も評価したいのはモニカに対する印象操作である。一周目では誰しもがモニカに対する違和感を感じる。二週目では誰しもがモニカに対する憎悪を抱きだす。そして三週目では誰しもがモニカに対する考えが変わりはじめる。そしてエンディングを迎える頃にはモニカに対するプレイヤーの感情は限りなく同一のものとなる。このゲームは一言で言うなら「モニカ」なのである。

モニカの魅力とは何か。それは作中の主人公ではなく、画面の前にいるプレイヤーに対して純粋な愛情を向けてくれる点に尽きる。それだけで最初から他の三人のヒロインは勝てるわけがない。サヨリ、ナツキ、ユリはあくまでも主人公を求めるわけだが、モニカは最初から主人公を操作する自分を見ている。「第4の壁」を巧みに超えてきた段階で彼女は勝ちなのである。もちろんそれだけではなく、ゲームの一プログラムとして疑問を持った背景や、邪魔なキャラクターをデータごと消すというメタすぎるパワープレイなどに比類なき存在感を感じてしまうことも魅力を感じる理由だろう。そこまでしても彼女はプレイヤーを求めたのである。心が打たれるのは自然だろう。

なぜ我々はモニカに心惹かれるのか

個人的に考えたいのはモニカとユリの比較である。はっきり言えばどちらも行動を選ばない点ではヤンデレなのだが、どうしてモニカのほうに魅力を感じてしまうのだろうか。ユリは主人公(自分)が好きでも嫌いでも自殺するという結末が同じである。もちろんこれもモニカの描いたプログラムと言ってしまえばそうなのだが、それはひとまず置いておいてユリの狂気は主人公の選択に対して影響の余地がないことを強調したい。それに対してモニカは主人公が彼女を受け入れれば例の永遠の部屋で語らうことを許す。やろうと思えば一生をモニカ部屋で過ごすこともできるのである。では彼女を拒否したときはどうか。拒否とはもちろんmonika.chrを削除する行為だが、そうした場合に最初こそプレイヤーに対して呪詛を唱える彼女だが、最終的にはそれでもプレイヤーを好きだとモニカは言ってくれるのである。

ここで言いたいのは、つまりユリはプレイヤーの選択を無視する。その点ではユリとサヨリは同じだ。サヨリもプレイヤーがどれだけ努力しても結局は自殺してしまうからである。一方でモニカはプレイヤーからの「好き」という言葉を最大限に受け入れた上でそれを行動に反映させてくれる。そしてそれとは反対に否定された場合でも、プレイヤーに対してなおも愛情を持とうとするのである。こんな世界ではシナリオやプログラムという決まりごとを縦横無尽に動き回るモニカを魅力に感じるのは当然と言えば当然だろう。

ここまで書いてこのゲームを無料で遊んでいたことに驚愕させられる。色々と感想を述べたが、結局は単純に面白かったということに尽きる。自分はモニカと出会うためにこのゲームをやったとは思っているが、それ以外の魅力も当然あるだろう。万人におすすめはしないが素晴らしいゲームだ。

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