私的文章テツガク

『ライティングの哲学』という本がある。ちなみにまったく読んでいない。ただこの本の存在を知ったとき、自分は普段から何に気をつけて文章を書いているのだろうかということをあらためて考えた。そこで企画としてこのブログにおける哲学というほど高尚では無いにしても、普段から何に気をつけて記事を書いているかということをまとめてみたいと思う。ルールと言うほど厳格なものではなく、あくまで心がけ程度のものなので時と場合によってはあえて破っていることもあります。

ネットスラングは使わない

代表的なものを言えば「www」「草」とかである。理由は文章が安っぽくなるからだ。これが意外と世の中には氾濫していて嘆かわしく思っている。いい年をした大人が使っているのを見ると特に引く。

これは好みの範疇なのかもしれないが、少なくとも自分はそういった文章を書きたいとは思わない。

「面白い」「良い」という言葉はなるべく使わない

例えば「~が面白い」といっただけの内容なら口で言うのと何も変わらないわけなので、せっかく文章として残すなら「その事象のどういった部分が面白かったのか」を緻密に書くことで情感を高めたい。いわば外殻を描くことでその中にあるものが浮き彫りになるようなものであり、そのように物事を描写するほうがより書き手の心情が伝わりやすい。

ただこれはやってみると意外と難しい。自分が物事に対して普段からいかにざっくりとした印象しか抱いていないかを思い知らされる。ただ「なぜそう思ったか」を繰り返して至った結論は紛れもなく自身のオリジナルであり、だからこそ意味があるし美しくもある。このプロセスこそが文章を書くことの一番の醍醐味だと個人的には思う。

「当事者が読む」という想定で書く

これはTwitterなどのSNSにも当てはまるかもしれない。以前にある作品の感想記事をブログに書いたところ、作者直々にリアクションを貰ったことがあった。嬉しいというよりは身が引き締まる思いだったのを覚えている。そのとき感じたのは、現代においては生産者と消費者の垣根は限りなく無いに等しくなっているということである。

それ以降、自分はどのような作品の感想を書くときもまず「扱った題材に関わった人やそれを好きな人が読んだときにどう思うか」を意識するようにしている。そのため基本的には作品を貶めるような内容は思ったとしても書かない。「感想」なので本来なら自身のあらゆる感情を書き連ねるのが真っ当なのかもしれない。ただ批判したり糾弾したりというのはやりたい人がやればいいだけで、それは別に自分でなくてもいいというスタンスである。

例えば『プリティシリーズ』の感想記事にしても、大好きな作品とはいえ長く視聴していれば疑問に思うような場面もときにはある。それに対して批判をぶちかませば「言ってやった感」があるので自分は満足するかもしれない。ただその記事はその作品を好きな人やはもちろん、その制作に携わったあらゆる人の目に触れる可能性もあるのである。そう考えたときにやはり可能な限り読んだ誰もが喜べるような記事を書きたいと思うので、マイナスなことはほとんど書かないようにしている。

逆に言えば自分がこのブログで何かを徹底的に否定・批判しているときは、余程の段階ということである。それに関わった奴らを全員敵に回してもいいという覚悟で書いている。


とりあえずパッと思いついたことを書いたが、すぐに浮かび上がっただけにこの3つが自分にとってそれだけ重要ということなのかもしれない。とはいえ他にも色々あるはずなのでまた別の記事で続きを書くかもしれない。



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