ボツ記事供養2021

下書き状態で保存している記事が大量にあるのだが、そのなかで途中まで書いてあるものの続きは二度と書く気にはならない、もしくは書く時期を逸してしまっているであろうものをここに羅列して供養したいと思う。

本来ならこれらすべての記事には自分にとって書くべき続きが確かにあった。しかしそこに至れないまま時間が経過してしまった。そんなちょっぴり切ない記事の集まりである。

一応は時系列順に並べてある。どうしてこの記事の続きを書けなかったのか、書かなかったのか、といった部分も想像しつつ読むとより良いかも。あらためて読んでみると面白そうな内容もいくつかあるので、違う形で投稿できたらそれこそが真の供養となるのかもしれない。

飴は肴たりえるか(2016年11月24日)

けっこう前にセブンイレブン700円クジで飴玉をゲットしたと言ったが、もともとそういったものを食べるという習慣が無いので余りまくっている。自分の場合はそういう口寂しさを感じた時はコーヒーを飲んだりチョコレートを食べたりという選択をするので一向に減っていかないのである。

ひとつ思いつくのは酒のつまみにするという手法である。この前の記事で自分はウイスキーは様々な食物をつまみにできると豪語した。それならば飴玉と言えども酒の肴にできて然るべきではないだろうか。

そこでふと思い出すのが、地上最強の生物・範馬勇次郎である。

子供時代の不思議な話とエトセトラ2(2017年1月25日)

昨日の記事を書いていたら、子供の頃によくあった不思議な現象をもうひとつ思い出した。こっちは怖いとかではないのだが、今でも本当によくわからないし、しかも言葉で上手く説明できるかどうかの自信もない。そのぐらい自分でも謎なのである。

簡単に言うなら、起きているのに夢を見ている感覚というのだろうか。例えば学校帰りに友達と遊んでいるのだが、気がつくと限りなくぼんやりとした意識のまま遊んでいて、そしてあるとき急にハッとして明確な意識に戻される、という感じである。ぼんやりしているときの記憶が無いというわけではなく、確かに意識はある。しかしそのときの光景というのは白いモヤが薄くかかったようになっており、まるで別場所でモニターを通してそれを見ているような感覚なのである。

虚無感喪失感(2017年4月23日)

好きな作品との繋がりが絶たれたあとに猛烈な虚無感に襲われるというのはよく聞くが、いまいちその感情はわからなかった。そこまで熱中できるものが無かったからだろう。ただ最近になって理解できるようになった気がする。

まずよく言うように、そのまま「死にたい」という感情に襲われる。それは殉死に近い感情である。例えば寝食を惜しんで読みふけった小説、夢中で視聴したアニメや映画が終わったとき、このまま死ねたらどれだけ幸福かと考えてしまう。

パンとワイン(2017年5月19日)

イエス・キリストは最後の晩餐の際にパンのことを「わたしの体」、ワインのことを「わたしの血」と呼んで弟子たちに与えたらしい。もちろんそれは彼の得意とするレトリックなわけだが、それにしてもパンとワインという組み合わせはどうしてもキリストを想起させる。なぜそんなことを書いているかと言うと、その組み合わせを人生で初めて体験しているからである。

嗚呼ひだまりラジオ(2017年5月23日)

「ひだまりラジオ」とは伝説のラジオであり、自分にとっては阿澄佳奈の原点であり原典である。どうしてこのラジオを聞き始めたのか。それを全く覚えていない。おそらく『ひだまりスケッチ』を視聴してラジオに入る、という一般的なルートでは無かったように思う。ラジオから入り、そこからアニメを視聴するという異端だろう。そうなると疑問なのはなぜ自分は「ひだまりラジオ」を聞くに至ったのかということである。これは永遠の謎である。

このラジオを聞いたときにまず思ったのは「このラジオはなんだ」ということである。

ブログ初期の記事を読んだ(2017年5月25日)

なんとなくこのブログを始めた当初の記事を読み返してみた。だいたい3年前の記事である。ブログをやっている人間としては、過去の記事を読むというのは辛いものである。それがごく最近の記事であれば問題はない。むしろ記事を読み返すというのは当時の状況を脳内にありありと再現できるので、ブログを続けることの効用のひとつである。正確に言うなら「遠い過去」の記事を読みかえすのが耐え難いのである。

文章は書き続けていればそれなりに上達するものなので、まず目につくのは当時の文章の拙さである。言葉選び、段落の分け方など、ひとことで言うなら美意識の点で許せない部分が非常に多い。また思想の点でも現在との差異が気になってしまい、こっ恥ずかしくなってくる。昔の実況動画を見返したときのような気分である。

ただ悪いことばかりでもない。意外と良いことが書いてあったり、自分のなかの変わらない部分が見て取れたりということもあるからである。そもそも過去の記事を読んで恥ずかしさを感じるというのは、当時から見れば成長ができているという証でもある。

海外文学(2017年5月29日)

海外文学を読むというのは恐ろしいことだと思う。例えばフランス文学を読むとき、フランス語を解する人が原文を読むのであればそこに挟まれる問題というものは何もない。しかし自分を含めたほとんどの日本人は必然的に「翻訳」に頼らなければならない。そこに苦しみがあるわけである。

もちろん翻訳者は矜持を持って仕事をするわけなので限りなく高い精度の訳を読ませてくれるだろう。しかし逆に言えば翻訳というのはひとつでも誤訳があれば全てが崩壊するほどの危うさを持っているわけなのである。そして問題は読者は仮にそういった誤訳に出会っても気付くのが難しいということだ。誤訳というものは少なくとも二つ以上の翻訳か、ひとつの原文を理解していないと気付くことができない。つまり死ぬまでその作品内容について誤解をもったままということもあるわけである。

ダイエットについて(2017年6月24日)

ダイエットについて個人的に調べたり感じたりするところが色々とあるわけなので個人的にまとめたいと思う。まずダイエットをやるには結局は摂取カロリーより消費カロリーを多くすることである。だから摂取カロリーを減らすか、消費カロリーを増やすか、端的に言ってそのふたつの方法がある。

摂取カロリーを減らす方法は、まず食事制限である。具体的に言えば野菜を中心にするとか、食事の回数を減らすとか、一食当たりの量を減らすとかの方法がある。それしかない。

次に消費カロリーを増やす方法であるが、その前にまず忘れてはいけないのは人間には「基礎代謝」というものがあるということである。これは一般的な男性なら1,500kcal、女性なら1,200kcalほどある(実際には歩いたりするわけなのでもう少し増えるはず)。だから単純に考えればこの基礎代謝よりも摂取カロリーを少なくすることができれば人間の体重は自然と減る。しかし話は簡単ではない。日本人の食事は一食当たり約600~800kcalに相当するからである。これを三食分摂取したとしたら合計で2000kcal近くになるわけなので、普通に生活したら体重が減ることはまず無い。

つまり痩せるためには前述のとおり摂取カロリーを減らすことも必要になるわけだが、それと同時に自主的に消費カロリーを増やす働きも必要となるわけである。消費カロリーを増やす上で最も効果のあるのは水泳のクロールであるが、それはできる人が限られるだろう。そうなると次点ではランニングが優れている。水泳ほどではないが効果の点では申し分ないし、気軽に始めやすい。逆に罠なのはサイクリングである。簡単ではあるのだが、時間あたりの消費カロリーはランニングの半分以下しかないので向いていない。色々な方法をあげたわけだが、結局は生活のなかに運動を取り入れることが大切ということである。しないよりはするほうが絶対にいい。

ここまでを改めてまとめると、摂取カロリーを減らす方法と、消費カロリーを増やす方法を同時に行えば間違いなく痩せるということになる。そんな単純な話であるのに、巷ではカルト宗教じみたダイエットが蔓延しすぎている。名前だけが先走って

『らき☆すた』のおもひで(2017年7月12日)

ニコニコ動画で『らき☆すた』が無料配信されている。自分は過去のアニメだと思っていたのであまり見る気は無かったのだが、みWikiさんの輝くピンク髪にそそられて視聴してみると意外と面白い。そう感じたのがこの記事を書くに至った理由である。

『らき☆すた』は実質的に自分の深夜アニメ好きを確定づけた作品である。自分のアニメに対する興味は『涼宮ハルヒの憂鬱』のEDから始まったわけだが、その興味を軌道に乗せて、しっかりと形にしたのは『らき☆すた』だと思っている。

まずアニメ作品でありながら、アニメ世界がわかりやすいという部分がいいと思う。

愛する曲 第一回 『Change the world』(2017年7月19日)

【まえがき】このカテゴリーは自分の好きな曲を好き勝手に語るだけなのだが、なるべくジャンルを問わずマイナーな曲を選択していきたいと思っている。ただ第一回ということなので、それなりに知名度の高い曲を選んだ。ただ前述のとおり次回以降からは大衆向けにする気は毛ほどもないのでそれだけは理解してほしいと思います。

『Change the world』は世界三大ギタリストとして知られるエリック・クラプトンの曲である。クラプトンと言えばギターテクニックという印象だったので当初は「歌とかどうでもいいからギター弾いてろよ」という考えだったのだが、聞いてみるとこれが良い曲なのである。歌詞は知る由もないが哀愁の漂いかたが凄まじい。それがクラプトンの甘ったるい声と相まって雰囲気を強めている。ついでに和訳も見てみると、案の定「君を愛するということにかけては世界を変えられるレベルさ」的なことを言っていて、いよいよ得心に至る。これは最上に単純かつ力強いバラードなのである。

この曲が好きすぎて、主題歌となっている『フェノミナン』という映画を見たことがある。主演は『サタデー・ナイト・フィーバー』で知られるジョン・トラボルタだ。しかし、映画の内容自体はそこそこだったのだが、この曲が流れたのがEDだけでガッカリしたのを覚えている。こんなに良い曲なのだからもっと効果的に使ってほしかった。むしろこの曲を活かすための映画作りをしてほしかった。そんなことを考えるのはさすがに傲慢すぎるかもしれないが、自分はそれほどこの曲の使いどころに期待しながら映画を見たのである。

ここからエリック・クラプトンは自分の音楽の趣味に堂々と食い込み、Derek and the Dominos時代の『Layla』から、洋楽史上最も泣ける曲である『Tears in Heaven』まで、音楽を語る上では欠かせない存在になってしまった。

愛する曲 第 回 『Hard To Say I’m Sorry(邦題:素直になれなくて)』(2017年7月19日)

まず始めに言うと自分はChicagoの楽曲をこれ以外にしらないにわかである。しかしこの曲を取り上げないわけにもいかない。

この曲はニコニコ動画でよくある「80代洋楽PV集」というような動画で初めて知ったと記憶しているがそのなかでもかなり印象的な存在だった。まず冒頭では唇を真っ赤に塗った男とも女ともわからないイラストがアップで流れていき、そのような始まり方からは信じられないぐらいの透明感のある歌声で楽曲が展開されていく。また日本人の観点からの意見だが、この曲は英語の苦手な人間でもなんとなく何を言っているかがわかる。「後悔しながら素直になれない男性」が曲を聴いているうちに脳裏に浮かんできて、その切なる思いに自然と染み入ってしまうのである。

またボーカルがクリントン大統領似のイケメンであるのもいい。当然ながら音楽は創作者の顔によって評価するものでもない。しかし端正な顔立ちから生じる情感ある歌声はそれだけで聞かせる。音楽だって芸術なのだからそういう部分があっても仕方ないし然るべきである。

愛する曲 第 回 『BORN IN THE USA』(2017年7月19日)

アメリカといえばやはり愛国心の国である。もちろん日本人でも「日本が好き」という気持ちはあるだろう。しかし我々は愛国心という大げさな言い方をすると途端に気が引けてしまうのはなぜだろう。そういうことを考えるとここまで愛国心を前面に押し出して、かつ受け入れられたBruce Springsteenを羨ましく思ってしまう。

彼を知ったのは有名という二文字ではあらわせない曲である『We are the World』に登場するアーティストに名を連ねていたからである。

自分と落語(2018年7月29日)

自分が落語を聞き始めたのはそれが喋りの参考になるということを聞いたからだった。しかしいざ聞いてみると喋りの勉強云々は関係なしに単純に面白い。それが入り口だった。

落語の良さとは何か。まず不滅のものを感じさせることがあげられる。落語は江戸時代に発祥したらしいのだが、そんな時代から笑いを追求し、受け継がれてきたものが半端なものなわけはない。必ず人間の本質に関わる部分を持っているはずである。

落語には上方落語と江戸落語という分類があり、そのなかにまた古典落語と新作落語という演目の成立上の差異があり、またその演目それぞれのなかに落語家の演じ方による違いがある。ざっくり言えば千差万別の楽しみ方がそこに存在するのである。自分も実際に異なる落語家の同演目を聴き比べたことがあるが、同じ内容を聞いているとは思えないほどに別のストーリーが展開されていて驚いたことがある。また同じ落語家でも時期によっては展開が変わっていたりもして、追求すれば飽きることの無いのが落語の世界と言えるだろう。

個人的には江戸落語の古典に分類されるものを好んでいる。特に古今亭志ん朝や三遊亭圓生などをよく聞く。

猿でもわからせる麻雀講座 第0回「なぜ麻雀を覚えるのか」(2019年11月28日)

私は麻雀が大好きです。大好きな麻雀をより楽しむためには、周囲に麻雀を知っている人が多いほうがいいです。この講座を書くのはそういった理由です。

まず始めに、あなたはなぜこの記事を開き麻雀を覚えようとしたのでしょうか。なんとなく開いてみた? まあいいでしょう、そういうこともあります。私の麻雀配信を楽しむためにルールを覚えたい? 素晴らしい! そういう健気な視聴者は常に大歓迎です。脱衣麻雀をやりたいから? エクセレント! そういう貪欲な人のほうが物事の飲み込みが早いものです。彼氏や彼女が麻雀が好きだから仕方なく覚えたい? くたばれ! と言いたいところですが、そういった理由もときには必要でしょう。

何が言いたいかというと、何事も習得しようとするのであれば明確な理由というものが必要です。それが原動力にもなりますし、モチベーションが下がったときにも原点に帰ることでまたやる気を取り戻すことができます。ですから、これからの講座に臨む前に「なぜ麻雀を覚えるのか」ということを多少なりとも自分なりの範囲で明確にしてほしいと思います。もちろん絶対ではないですが、それがあると無いとでは麻雀の習得効率がまったく変わってくるのです。

いきなり精神面の話でゲンナリした人もいるかもしれませんが、麻雀というゲームは思っている以上にメンタルが物を言うゲームでもあります。そういった点も踏まえて最初にこんな話をした次第です。別にストイックになれと言ってるわけではありません。むしろ麻雀のゲーム性的に真面目すぎる人は崩れやすいです。気張らず、緩いスタンスで取り組むぐらいがベストだと個人的には思います。

次回からは具体的なルールの解説です。

自分で自分の記事にランキングをつける寂しい記事(アイドルタイムプリパラ編)(2019年12月11日)

これだけ長くブログを続けていると、ときどき過去の記事を読み返した時に別人が書いたのでは無いかと錯覚するぐらいに秀逸な記事に出会うことがある。傍から見れば自画自賛でしか無いのだが、文章は水物であり、その時でなければ生まれないものはあると思うし、時を経ることで客観的な評価が可能になる側面は必ずあるはずである。

そういうわけでこの記事では自分が自分の記事を読み返して自分でランキングをつけるという試みをしていきたい。ただ全記事でそれをやると膨大な作業量になると思うので、ジャンルを絞りつつやっていきたいと思う。今回は自身が初めてアニメの始まりから終わりまで感想を書いた『アイドルタイムプリパラ』の記事から格付けをしていく。

自分が麻雀を覚えた方法(2020年2月9日)

昔々、自分は「アマガミぬくぬくまーじゃん」の実況動画を撮るために麻雀を覚えることを決意した。そのときにどのような過程で麻雀のルールを覚えていったのかを書いてみようと思う。

まず基本的な知識は「ビギナーズラック」というサイトで勉強していった。見た目はフリー素材で作ったいかにも胡散臭いサイトなのだが、その内容はいたって真面目である。基本から応用まで幅広く取り扱っており、下手な戦術書を読むよりはこのサイトを繰り返し見たほうが間違いなく上達は早い。

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人の性としてある程度のルールを把握できると実戦に挑みたくなるものである。自分も例外ではなく、ろくに理解していないのに本番に臨みたくなってしまっていた。そこで

好きの根源を見失いがち(2020年2月22日)

例えば天鳳である。毎日のように天鳳に打ち込み、麻雀本を読み漁っているわけだが、そもそもなぜ自分がこのような状態になったのかはよく覚えていない。もちろん好きだからやっているわけだが、その根本がよく思い出せないのである。ブログを遡ってみると去年の半ばあたりに何かがあり、そこから麻雀熱が再燃したらしいが詳細はわからない。おそらくMリーグの再放送を見ていたことが理由な気はするのだが、その真相が判明することはないだろう。

プリパラはどうだろうか。これも好きになる直接のきっかけは覚えてはいるのだが、実はプリパラ自体はそれ以前からたまに視聴していた。ではなぜ

減ることをしない、ということ(2020年6月30日)

ネット上で汚い言葉を吐く人を見かけることは多い。自分は人の言葉遣いを指摘できるほど上品な人間ではないと思っているが、ただ最低限のラインは設けているつもりである。

そういった発言を避けるのは、それによって最悪の場合は訴訟問題やら何やらに発展するかもしれない、というのも理由のひとつではあるが、そんなものよりも危惧すべきことがある。そういった下品な言葉を発することによって自分の中の大切なものが擦り減っていくからである。



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