ばなれ

一般人の合否を取り上げてキャッキャしてるメディアって異常じゃないだろうか。そんなものを扱うのは落ち目のタレントがやるような炎上商法と同じであり、例えばテレビだとしたら瞬間的な視聴者は増えても継続的な視聴者は得られず、むしろ呆れられて離れていく一方だろう。今の情報発信側は継続的に触れてもらえる努力をするべきなのに、やっていることが嫌悪感につながることばかりであることをなぜ理解できないのだろうか。

今の時代は個々人が情報を取捨選択できるのが当然であり、その点ではテレビはもっともそぐわない存在だと感じる。今日も夕方のニュースで京王線の事件の報道を事細かに説明していたが、個人的にはそんな痛ましい事件の詳細なんてまったく知りたくない。犯人の動機なんてどうでもいいし、顔も見たくないし、車内で逃げ惑う乗客の映像なんて生々しすぎて怖いから見たくない。そんなショッキングなものを断りもなく強制的に見せつけてくることにもはや違和感しか感じない。事件直後で肉体的精神的に憔悴している乗客に平気でインタビューしている様子も気持ち悪い。

「~離れ」という言葉が溢れているが、それはむしろ喜ばしいことなのではないだろうか。何かから離れるというのは無関心の幅が広まったというわけではなく、それぞれが興味を持てる分野にだけ集中できるようになったというだけのことだと思う。昔は車が必需品でありステータスだったのであまり興味がない人も買わざるを得なかったが、そうしなくてもなんとか済むような時代になったのではないだろうか。テレビや新聞も同じで、半ば強制的に触れてたものから個々人が脱却しただけの話な気がする。それを理解せずに「~離れ」という言葉を用いて自信を顧みないようでは人が離れても仕方がないのではないか。



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