組体操の思い出

ここ最近になって運動会の組体操が減少傾向にあるらしいが、経験者としてもあんなものはやるべきではないと思う。あれは見た目の派手さに反して大した技術はなく、求められるのは生徒の強制的な忍耐力だけである。ひとことで言えばくだらない。

特にピラミッドなどはくだらなさの象徴である。一番下の人間は校庭の砂に直に膝を付けるのに、その上に何人も乗せるわけなので練習のたびに膝小僧に血を滲ませることになる。また上の子の膝がバランスを取るたびに背中の骨の隙間をグリグリとさせる痛みも鮮明に思い出せる。最後には全員が一度に崩れて終わるわけだが「内臓破裂の恐れがあるから胸の下に腕を挟んで崩れるように」と教わった。そこまでしてやる意味はあったのだろうか。

そういうわけで当時はピラミッドの一番上に乗る子を羨ましがっていたものだが、ある日を境にそうも思わなくなった。その子が転落して腕を骨折したからである。どちらの腕までかは覚えていないが、変な方向に曲がっていたのは映像として思い出せる。ただそれに対して意義を唱える生徒は誰もいなかった。むしろ教師と生徒を含めて骨折した子の不注意を責める空気のほうが根強かったように記憶している。それほどに小学校の生徒というのは盲目的に行事の正当性を信じているのである。だからこそ大人が伝統とか慣例などの言葉でまかり通っている物事の誤りを冷静に正していかないといけないと思うのだが、良識があるはずの教師でさえもそれを言い出せなかったり思いもしないのが組織の怖さというものである。あらゆるものが「そういうものだから」という空気で片付けられていたように思う。

思い出すのは組体操を演じているときに熱狂的な歓声をあげていた大人たちである。当時はそれがモチベーションになっていたわけだが、今になって思い出すとそれは狂気に近いものに思えてしまう。年月が経ってその大人たちの年齢になったわけだが、自分自身も下の世代に伝統や慣例の押し付けをしてしまっているのではないかと思うと不安と恐怖に苛まれる。

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