変化と相撲に変化を

相撲において「変化」が問題になるたびに思うのは「こんなに頻繁に物言いが起こるなら、そもそも禁止にするべき」ということである。柔軟な思考を捨て、凝り固まった観念に執着し、進歩する気概を失った相撲界にはそんなことも理解できないらしい。

力士だって勝ち星を重ねることに執着したいはずだ。そういうときに変化という手段があれば、それを立会の前に選択する可能性は容易に考えられるのではないだろうか。選択肢とは文字通りに、選択されるためにあるのである。それを選び取ってなにが悪いというのか。個人的には変化にまんまと引っかかる愚者を貶し、勝利のために最善の選択をした智者を讃えたいぐらいである。

こういう話になると決まって「興業だから正々堂々と勝負をすべき」と言う輩がいるが、だからこそこのような興の冷める可能性のある芽を摘むべきなのである。勝者を手放しで讃えるためにも、水を差す要素は駆逐されてしかるべきだろう。禁止が難しいなら格下相手には使用できない、一定の身長体重以下の力士のみ使用可能などの制限でもつければいい。なんにせよ繰り返し同じことが争点になっているのは見るに堪えない。

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