バカッターの本質

なんとなくバカッターのまとめを見ていたのだが、あらためて戦慄させられた。猟奇事件などを起こす犯人よりも、彼らの行動のほうがよほど理解に苦しむからである。殺人を起こす動機なら納得はできなくても理解はできる。しかしバカッター民の行動はどういう思考回路を経ればそのような突拍子もない行動に行き着くのか理解すらできないのである。だからこそ「馬鹿」と端的に、これ以上なく正確に表現されてしまうのだろうけども。

バカッター行動の原因として、ネットリテラシーの欠如を取り上げることがある。例えばリスクを承知せずに実名や顔写真を公表していたり、平然と悪行を呟いていたり、ということは全てネットのもつ影響を軽視、もしくは知りもしないから起こっているというわけである。

もちろんそれはそうなのだが、ただ本当に問題なのはネットの使い方を理解しているかどうかより、そんな行動に至る道徳性が問題なのではないだろうか。別に実名公表をしていたって、顔写真を掲載していたって、職場・学校・住所を公開していたって、その行動が公明正大であれば炎上もしないわけである。それをネットリテラシーの欠如のひと言で片付けてしまうのは、誤りではないが正確でも無いように思えてしまう。

それとも元から道徳性の欠けた人間なんて社会にはいくらでも転がっていて、それがネットによって浮き彫りになっているだけなのだろうか。現代は単にそういった人間を見つけ出すレーダーが優秀になったというだけなのだろうか。そうだとしたら見たくもない人間の闇を見せつけられて、少し迷惑な気もするような。

時代と共に人間の道徳性が低下しているのか、それとも単に見つけやすくなっているだけなのか。自分には判断できないが、進行形で生きている現代が道徳急降下の真っ最中なんて悲しすぎるので、可能なら後者の理由のほうがいいかなあ。

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1件のコメント

  1. 私は両方だと思うけど、後者の理由の方が大きいと思います。

    こういう考えさせられる記事、好きです!

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