『魔女の宅急便』で思ったことあれこれ

王道を行くジブリ作品として抜群におもしろいと改めて思ったが、一方で今になってみると疑問に思うところも多かったのでそこについての考察を書きなぐっていきたい。

まずキキが魔法を使えなくなり、ジジが普通の猫に戻ってしまったことについて。これはキキに変化が訪れたというよりは、ジジに変化が起きたのだと思っている。キキが魔法を使えなくなったのは「大人になったから」という理由が多いようだが、エピローグを見ても普通に空を飛んでいるので魔法を永久的に使えなくなったわけではない。ニシンのパイ事件の後に魔法が使えなくなったのは一時的なもので、精神的に落ち込んでいたことが魔法に影響を及ぼしていたのだろう。そもそも「大人になったら魔法が使えない」なんて描写あったっけ。

では次なる疑問となるのが「エピローグでジジが元に戻っていないのはなぜか」ということだ。キキが魔法をまた使えるようになったのならジジだって当初の人語を介する猫に戻るはずである。しかし事実はそうではない。これにはみっつの可能性が考えられる。

ひとつは「ジジに魔法が効かなくなってしまった」という理由。キキが悩んでいた時期はジジにとっても大きな変化が起きた時期でもある。リリーという恋人と出会い、そして子供も生まれることになった。ジジは短期間のあいだに夫という立場となり、さらには親となったわけである。守るべきものを得たことはジジの内面にも大きな影響を与えたことだろう。そういった変化が何らかの作用を及ぼして魔法を打ち消してしまったのかもしれない。

ふたつめは「キキがあえて魔法をかけていない」という線。家族を持ったジジに依存して負担をかけないように、あえて猫と人間という距離感を保っているのかもしれない。もしくは「リリーが嫉妬して悪いから」なんていう理由も単純ながら、宮﨑駿映画ならあり得そうに思えてならない。

みっつめは「キキとジジの間で会話は成り立っているが、視聴者には聞こえていない」という線。劇中序盤でもキキと話しているときは人語に聞こえるが、おソノさんと話すときは鳴き声にしか聞こえないという描写があった。エピローグでの描写は外から見ている我々にはただの人間と猫としか捉えられないが、二人の間では会話が成り立っているのかもしれない。

ざっくりと考えてみたが、根拠もあるし最もあり得そうなのがみっつめの理由だろうか。ふたつめは宮﨑駿の作る世界観を踏襲すると自然には思える。ひとつめの理由は完全に憶測だしなんとなく悲しいので違っていてほしい。とは言っても真実を確かめる術などないのだが。

4


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)